北ノ沢のあの日、あのとき―第1回 2023年8月28日 / 北ノ沢ものがたり / By kitasan 北ノ沢ものがたり北ノ沢に町内会が発足され50余年。当時は大変な苦労があったようです。残されている資料をもとに、ホームページで少しずつご紹介してまいります。※「北ノ沢第三町内会史(30周年)」をもとにデジタル化して再構成(一部省略、改編)しています。ご了承ください。 北ノ沢の成り立ち 北ノ沢第三町内会には、いったいいつごろから人が住み始めたのだろう。町内会史を紐解くと、こんな記述があった。「農地改革前のわが町内の大部分は、1819番地で前山さんの所有地でした。明治40年代から小作人として入植し開拓してきたものです。戦後農地改革により土地は農家のものになりました。農地についての所有権移転は、法務局の旧土地台帳によれば、昭和25年4月6日になされています。山林の所有権移転はそれより早く24年の3月ごろになっています。町内の範囲で農業を営んでいた人は(中略)11軒でした。(中略)昭和33年以降土地業者に売られ、宅地化されて分譲されました(以下省略)」(農地解放直後の土地所有状況の項より) 前山さんとは前山久吉氏のことで、一帯の地主だった。東京で会社を経営して「めったに来ることはなかった」という。凶作で困ったときも世話になった人が多かった。開発のためにいくつかの土地の寄付もなされた。そうした縁もあり、北ノ沢第三町内会館の横に碑が建てられた。 どうやら戦後、昭和30年代に北ノ沢の原型ができたようだ。想像していたよりも北ノ沢の歴史は新しい。大きな出来事としては・昭和22年:北ノ沢山手線が市道として認定される。・昭和25年:農地解放により土地所有権移転。1819番地に11軒の農家。・昭和33年:観光自動車道ができ札幌駅~藻岩山頂間を観光バスが走る。 当時のことを座談会で知ることができる。(以下、町内会史の座談会より) 少年時代座談会 少年時代座談会 少年時代座談会 ファイルが開かない場合はコチラをクリック 土日は藻岩の山頂まで直行バスが走り、停留所以外の場所でも手を挙げて乗せてもらう・・・これぞ田舎あるある。当時はホップ畑が広がっていたようで、これも隔世の感がある。農業を辞める人が増え、周りは宅地に変わり、馬も耕運機も消えた・・・。日当たりの良さもあって宅地が一気に増えた北ノ沢だが、高地であるがゆえに大きな問題があった。生活に欠かせない「水問題」だ。次回は、それについて記してみたい。 次回に続く